朝靄(あさもや)を歩く





 何かを期待して目を覚ましたところで、僕の寝ぼけた顔を覗き込んでいるのは、何時もの天井の何時もの木目しかない。もう少し眠ろうかと思ったが、何を思ったのか飛び起きて、今まで寝ていたのが嘘の様に動き出す。唐突に、朝の散歩がしたくなった。ウインドブレーカーを一枚Tシャツの上に羽織って、玄関に鍵をかけ、朝靄の中に飛び出した。
 特に何か理由があったわけではない。衝動的に、ただ衝動的に朝の町を歩きたくなっただけなのだ。しかしよく考えて見れば、潜在的な理由がどこかにあるのかもしれない。例えば、僕はよく小説や詩を書いているから、その題材探しに出かけたくなったのかもしれない。いや、運命的な人物との運命的な出会いを期待して動き出したのかもしれない。日常生活で溜まるストレスのようなものを吐き出すために飛び出したのかもしれない。僕自身にもその理由はわからない。否、理由なんて判る必要などあるものか。僕はただ歩きたいから歩くのだ。
 町はまだ、朝靄の中に眠っている。皐月の青葉が朝露を溜め込んでてらてらと輝いている。まっすぐと伸びた道路には車も人もいない。時折ジョギングを行う人は見かけるものの、弾む息が後ろに聞こえれば、しばらくは何の音もしない。耳を澄ませば、蛇口を捻る音や、包丁が俎板を叩く音などが聞こえてくる。僕の前に続くこの白い道路は、晴れ切らない曇天の空とあいまって、とても幻想的な風景に見える。その靄を切り裂くようにして僕はずんずん進む。
 次第に僕は歩いているということを気にするより、何故僕は外を出歩こうと思ったのかということを再び考え始めていた。
 そういえば僕は、技癢(【ぎ-よう】実力を示す機会が無く、他人の技を見て腕がうずくこと)を感じると、よくこうして散歩することがある。例えば、麗美な同人音楽を聴いたときや、素晴らしい漫画を読んだとき。今回は有名な先生の面白い作品に技癢を感じた。何かを書き遂げる実力も根気も無いくせに、何か一つの作品を仕上げたくなる。僕はこれを「何時もの病気だ」と考えている。大体周期的に音楽、絵画、漫画、小説を作りたくなっては諦め、作りたくなっては諦めしている。別に何かに拘束せられているわけじゃないんだからやればいいのに、と思うが、一念発起して取り掛かったところで、さっさと根気が尽きてしまう。そうして未完の作品をいくつもいくつも葬り去ってきている。積み上げられたその作品の死骸を見て、やる気をなくして、とうとう取り掛かる前に諦めるようにもなってしまった。努力を積めばいいものの、僕という人間は努力をするのがほとほと苦手で、「自分の性じゃ、しかたない」といって逃げているのである。しかし、内燃する作品を作りたいという情念を捨て去ることが出来ずにコンプレクスを心中に抱え、このように何処へ行くとも無くほっつき歩きはじめるのである。
 目の前の信号が赤で、あわてて足を止める。もうどんな道順でそこまで歩いてきたか覚えていない。朝の道路で、車は余り通らない。となると、どうしても車が来ないうちに道路を走って渡り切ってしまいたい、と思うのだが、今日はしばらく待ってみようと思った。
 信号をわたるとすぐ、何時も新聞を買うコンビニに辿り着く。この時間帯は何時も、初老近くのおじさんが一人でレジを守っている。僕が入ると、退屈そうな顔にぱっと営業スマイルを浮かべてこちらを見る。そのあと、何時も来ている小童とわかると、親しい笑みを浮かべて「いらっしゃいませ、おはよう」と気さくに声をかけてくれる。僕も悪い気はしないから何時も「おはようございます」と返す。
 日経新聞を無造作に掴み取り、チラッと一面の見出しをチェックする。特に代わり映えのしないようなニュースばかりである。そのあと、冷蔵のコーナーで、ペットボトルのお茶を買う。何時もの伊藤園のお茶に手を伸ばそうとしたとき、その近くに新茶のボトルがあるのを見つける。10円高くても、そっちにする。おにぎりのたらこを取ろうとするが、無い。2、3回顎をなでて逡巡した後、梅のおにぎりを掴む。三角形に売り場を回って、すぐにレジに向かう。新聞を買うなどの用事が無いときは何時ももっとだらだらと売り場を見回っているのだが、読みたい週刊誌などを買うときは、比較的さっさと買い物を済ませる。
 レジに商品を置くと、おじさんはもう一度「いらっしゃいませ」という。そして「今日ははやいですね」と言葉を継ぐ。
 僕は、先刻悶々と考えていたことなどすっかり忘れて、「はい。なんとなく」と答えた。「そうですか」とおじさんは笑う。
 「なんとなく体を動かしたくなったんです」
 「寒く無かったですか?今日は曇ってますからね」
 「いえ、特には。ウインドブレーカーを羽織ってますし」
 「そうですか」
 僕は、告げられた会計の代金を支払い、レジ袋に入れられた荷物を受け取る。
 「どうも」
 おじさんは何時ものようにニコリと笑って「ありがとうございました」という。
 僕は家に帰ってゆっくり新聞を読むために、朝靄の消えかかった道に帰っていく。
 だが、コンビニが見えなくなるあたりで、先におにぎりが食べたくなった。ごそごそと袋をまさぐるが、何故か掴めない。仕方ないので一番大きい新聞をいったん袋から取り出して、おにぎりをようやっと取り出した。僕はそのとき、一面の小さな見出しに気がついた。
 内容はよく覚えていないが、なにやら僕の年より若い人が本を書いて、賞を取ったということだった。僕はこの、なんともタイムリーな、もしくはある種運命的な記事を見て、思わず深くため息をついた。
 正直僕は、このように表彰される作家より、より感傷的で、より風流な文章を書く自身がある。ただ、根気が続かなくて大作が出来ないだけなんだ、と思い込んでいる。だが一方で、その根気が続かないことこそ、最大の実力差なのだ、ということもまた自覚している。たとえ自分が書く一つ一つの言葉が素晴らしいものであったとしても、それを長く書き続ける、絶え間ない努力が無ければ、何一つ成就しないのだ。
 また、そんな傲慢なことを一瞬でも思ってしまう自分がイヤで、自己嫌悪した。そもそも、僕は何かを書き上げてどこかに投書したことなんて一度も無かったじゃないか。そのようなことでどうして自分の実力がわかるだろうか。
 じゃぁ何か書いて投書すればいいじゃないか。きっと自分の実力をはっきりさせてくれるに違いない。だが、その根気が無い。どうせすぐに諦めてしまうだろう。だから、きっと僕の秘めたる実力は一生涯判るまい。それならそれでいいじゃないか。
 そんなことを考えているうちに、僕はいつのまにか門の前に立っていた。消えたと思った靄が、まだ少しだけあたりを漂っている。右手には新聞紙とビニール袋、左手には食べようと思って出したおにぎりをそのまま捕まえていた。僕はいったんおにぎりを袋にしまって、家の鍵を開ける。  敷きっぱなしで出かけた、まだ暖かい布団の上に寝転がると、天井の木目が自分を見つめ返す。そいつが僕の意気地のなさをあざ笑っているように見えたので、僕は憮然とした顔で、その目を避けるように新聞紙を開いた。