夢のような環境





 先生の書斎は常に本で溢れている。溢れているというのは比喩表現ではない。本当に足の踏み場所も無いくらいに雑多に放り出されている。これら放置された本は、壁一面に張り巡らされた本棚に入りきらなかったものだ。当の本棚は、一列で入れるべきところを前後二列埋め尽くして尚飽き足らず、その上のスペースにまで横にして本を詰め込み、完全に飽和状態である。にもかかわらず更に書籍を買い込むのだから、必然本は溢れてしまうのだ。
 当の先生本人の姿は、書斎の入り口から見る限りではいないように見える。しかし、「先生」と私が書斎の中に呼びかけると、バサバサっと本が蠢き、その下から寝癖と目脂をつけた先生が起き上がった。書斎に籠もりっきりの時には大抵こうして本を毛布として寝ている。
 先生は近眼の目を糸のように細めて私を見た後、ふらふらと机に向かって歩き、銀縁の眼鏡をかけて、改めて私を見据えた。
「すまない、どうかしたかい」
「加賀先生が応接間でお待ちです」
 この加賀先生とは、私の先生の書いている学会論文の協力者であり、何より先生の大の親友である。今日は論文の進捗状況の確認の為に先生が約束した日であった。然しながら、先生は覚えてないようで、何かを思い出そうと首を大きく右に傾けた。そのあと、更に顔を険しくして首を左に傾けた。
 徐々に顔が「しまった」というように引き攣っていく様は、まるでコメディードラマをみているかの様である。先生は机の上の紙束を引っつかむと、足元の本を踏み越え蹴り飛ばし、着の身着のまま廊下をかけていった。幸い、服はワイシャツとスラックスだったので、一応人前でも失礼ではないだろう。加賀先生なら、普段着でも笑って赦してくれそうだが。
 私は、書斎の整理のついでに、先生の書斎をじっくり観察してみることにした。
 窓は南側一面にしかついていない。机も南向きである。これがかなり大きい机で、普通のワークデスクの2倍ほどある。机の上は書籍より書類が多い。大きなデスクトップコンピューターが一台、付けっぱなしになっている。
 東、西、北の壁は全て本棚になっている。そのうち、東側の三分の一の本棚だけ他の本棚に比べて毛色が違った。明るい色が多い。よく見たら、それらは全て漫画であった。
 先生は大人であっても大の漫画好きで、実は床に散乱している本のうちやはり三分の一は漫画である。これでも処分したほうだ、と先生は話すが、書斎そのものが16畳ほどあるので、これでもかなりの量である。
 西側の壁は小説が並んでいた。近代文学に傾倒しているようで、割合としては一番多い。 一度は聞いたことがある名前から、全く知らない名前まで様々ある。最下段には、全集が並んでおり、文学賞が銘打たれている全集が整列している。
 北側の本棚は、評論の本、新書等が並んでいる。ジャンルを問わずいろいろな批評の本が背を向けていた。情報、報道、医学、文学、文化、歴史、政治、経済、技術、美術、宗教と、全く統一性がない。
 それらの本棚をそれぞれの種類の書籍が髪の毛一本ほどの隙もなく埋めて尚、それぞれの本棚からあふれ出した書籍が、足元に山積しているそれである。
 先生いわく、この溢れた本に囲まれて眠ると、何故か心が安らかになるという。また、もしかしたら幼いころに、絵本に囲まれて寝ていた時期があったので、それのせいかもしれない、ともいっていた。それほどまでに、紙の集合体がすきなのであろう。
 とりあえず、壁の分類に沿って、散らかっている本を分別するところから、片づけをはじめることとしよう。